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2008年 01月 01日
●去る、6月27日、尼崎北と兵庫播磨リトルリーグで永年、監督などを続けて来られた、私の小学校時代の恩師でもある、高橋治先生が逝去され、ご両親の元に旅立たれました。79歳でした。
子供が好きで、多くの人を育て、また慕われた先生でした。入院中も多くの元生徒が老若男女見舞いに訪れ、看護師さんによれば「こんなに人望の厚い先生は初めて」とのことでした。みんなよく世話になったこともありましたが、ご自分のことは二の次にして先生が私たちのことを心配し、応援してくださっていたことをみんな知っていたからでしょう。私が関学中学部に入学した時、お祝いにグラブを頂いたのを思い出します。先生は最後、蓄えも少なく、直接は知らない者同士が同じ先生の教え子やその父兄ということで話し合い、今回は密葬にして、後でみんなに連絡して、お別れの会をしようということに決めました。最期まで、人と人を結び付ける役割をして逝かれた先生でした。さて、どれだけの人が集まってくるだろうか、見当もつきません。 2004年1月発行のジンバブエの風に掲載させて頂いた先生の文章を、再度ここで皆様に読んで頂き、お別れにしたいと思います。先生、ありがとうございました。 (記:伊藤) 遠 い あ の 日 リトルリーグ指導者 高橋 治 身に浴びる歓呼の中に母ひとり 旗をもふらず涙ぐみおり これはグアムの太平洋戦争戦没者墓地で見かけた短歌である。私がグアムを訪れること47回。必ずこの墓地へお参りし、戦没者の方々の霊をなぐさめることにしている。 年間、何十万人という日本からの観光客が訪れるグアムであるが、この墓地を訪れる人はごく稀。2,400kmも離れたこの異境の地で、日本のためとはいえ尊い命を捧げた多くの将兵の気持ちを考える時、ここを素通りすることはできないのである。 私も18才で海軍を志願して兵役についたが、出征の日、神戸で両親と別れた時のことを想い出す。 白米も砂糖も小豆もなかなか手に入らない時に、どこで調達したのか、重箱にぎっしりと大きなおはぎが詰め込まれていた。神戸駅の南の広場の片すみで親子3人が腰をおろし、心のこもったおふくろの味をかみしめていた。3人はただ黙って食べていた。ふだんから口数の少ない父が「お父さんらも頑張るから、お前もな」。これが父の最後の言葉だったと思う。「体に気をつけるんやで」と母の言葉。やがて集合の合図で両親の元を離れ、「万才」「万才」と見送りの人々の声に送られてプラットホームへ。ふと振り返り、両親をさがす。遠くで父が手を振っているのを確かめたが、母の姿は見えなかった。 この詩を見るたびに、あの神戸でのシーンが目に浮かび、涙がとまらないのである。
by amain
| 2008-01-01 18:56
| ジンバブエの風19
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